新空港の場所には昔・・「旧盛山村跡の御嶽(おん)」: 石垣島なんでも図鑑

新空港の場所には昔・・「旧盛山村跡の御嶽(おん)」


旧盛山御嶽



過酷な運命の上、廃村となってしまった石垣島の古い村「盛山村」。
新石垣空港ができたことによって、「旧盛山村跡の御嶽(おん)」の場所が整備され、再び人々の目に触れられるようになりました。

新空港の「信号機」がある入口から入って数十メートルの左手にある草木が生い茂った小さい森のような場所。
そこが旧盛山村跡の御嶽の場所です。

明和の大津波以降に竹富島から富崎に移り住んだ人たちが移住してこの村を作りました。
津波のあとという事もあって、海から少し離れた高台に村を作ったんでしょうね。
とても眺めのいい場所。当時はもっときれいだったんだろうな〜と想像してしまいます。

その盛山村ですが、疫病などがはやり人口が減少していきます。
他の村からも人を補充して村を維持していくのですが、疫病やマラリヤなどの病気には勝てず大正時代には廃村となってしまった村です。
その場所に盛山村は確かに存在したという証拠がこの盛山村跡の御嶽です。
当時の生活の過酷さ、生きるための大変さが伝わりますね。

またこの旧盛山村には、村で最後の生き残りとなった「ドッケーマ」という女性の歌も伝わっています。

「盛山村のどっけーま(ドスケーーマの歌)。

盛山村ナンガヨー ドスケーマデーン ミヤルビデーン
マリドゥブレール ブドゥルシリバン キョンギンシリバン ドスケーマタンガヨー

訳:盛山村にドスケーマという女の子が生まれておりました
  踊りをしても狂言をしてもわたしドスケーマ一人です

(竹富島の種取祭で、この歌の奉納があるそうですが・・。機会があれば見てみたいな。)
住民のルーツは竹富島という事もあって、竹富島の種子取祭の前には島の神司が旧盛山村跡の御嶽を拝みにくるそうですよ。

旧盛山村 史跡

ちなみにこの場所に設置されている案内板には下記のように書かれています。

「盛山村は1771年に八重山諸島を襲った明和大津波の跡、竹富島から石垣島南西端の富崎に移住して出来た富崎村の人々が1785年に桃里村の属地であった盛山に再移住して創建された村である。
御嶽とは人々の健康や地域の繁栄などを祈願する聖地の事で、盛山村の人々が信仰した御嶽は、出身地である竹富島の御嶽の神を勧請したとされる。
盛山村創建時の人口記録はないが、風土病やマラリヤや伝染病などにより、明治6(1873)年には戸数9戸、人口17人まで減少している。
明治10(1877)年には、白保・宮良・大浜の3村から23人を補充し、村の維持を図ったが人口減少はやまず、大正6(1917)年には集落が廃された。
この御嶽は、かつてこの地にあった盛山村の歴史を物語る貴重な史跡である。


moriyamautaki1.jpg


新空港で盛り上がるこの場所には、悲しい歴史もあったんだという事を胸に刻んで・・・。
史跡の周りは農地となっているので、迷惑をかけないように見てくださいね。






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posted by 石垣島 | 石垣島の史跡・文化財 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする