石垣島の史跡・文化財: 石垣島なんでも図鑑
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石垣島の英雄「オヤケアカハチの碑」

【オヤケアカハチの碑―石垣島の英雄―】

oyakeakahati1.jpg

石垣島の一番の英雄と言えばオヤケアカハチだ。
島では演劇やオヤケアカハチを讃えるアカハチ祭りなども行われていて、石垣島の人ならだれでも知っている英雄です。

大浜部落の大浜小学校近くにこのオヤケアカハチの記念碑があり、
近くにはオヤケアカハチの像もあります。

oyakeakahati.jpg

小さいころからよく、オヤケアカハチの物語を聞いたな〜。
私の印象は、男らしい赤毛の巨人という印象です。

ちなみに漢字では「遠弥計赤蜂」や「於屋計赤蜂」などと書きます。
またオヤケアカハチは、ホンガワラアカハチともよばれいたりします。

波照間島で生まれ、小さいころから背も高く豪傑として名が知れていたそうです。
その後、石垣島の大浜村へ移り、有力豪族として勢力を広げましたが、
宮古諸島の仲宗根豊見親と八重山諸島の覇権をめぐって対立したことや、貢納を拒否した事などの反逆行為などで沖縄本島の琉球王国政府を敵対し、首里政府から派遣された討伐軍3000人との戦いで敗北し打ち取られたそうです。
(一説では八重山固有の神、イリキヤアマリ神の信仰を王府に禁止されたためとも言われてます。)

ちなみに昔の戦いの様子など面白いですよ。
女性神官などが、初めに呪詛を相手に放つって戦ったそうですよ。

最近は、韓国の英雄「洪吉童(ホンギルドン)が、このオヤケアカハチと同じ人物だと言われたりして、韓国の学者からわざわざ調べに来てたりもしてましたね。
また、オヤケアカハチは2人いるなんて説も・・

ちなみにウルトラマンにでてくる有名な怪獣レッドキングの名前の由来はオヤケアカハチだという噂も・・。

オヤケアカハチの碑がある場所は、公園にもなって海も近く気持ちがいいところでよ。
昔の石垣島の英雄の活躍に思いを馳せながら島散歩・・・。






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川平貝塚(かびらかいづか)

【石垣島の史跡-川平貝塚(かびらかいづか)-】

kabirakaiduka.jpg

石垣島の観光地として有名な川平湾。
そこから底地ビーチに向かう途中に「川平貝塚」という史跡があります。
南側の仲間森と北側の獅子森一帯が川平貝塚と呼ばれています。

この史跡は、鳥居龍蔵氏によって明治37年、八重山で初めて考古学的調査が行われて遺跡で、考古学上、記念すべき遺跡となっています。
1972年には国の史跡としても指定されています。


出土品には、土器の外側に耳のような取っ手がついた外耳土器(そとみみどき)や、中国製の陶磁器、石器・貝類などが出土しています。
遺跡の年代は、15〜16世紀頃とされています。
この一帯には、昔は川平村の中心的な村「仲間村」があったそうです。


「史跡 川平貝塚」に石版には以下のように書かれています。

昭和47年5月15日 国指定

この貝塚は、比高約30メートルの仲間森と獅子森を含む一帯の原野や畑地に形成されています。
1904年(明治37)に考古学者鳥居龍蔵博士によって中央の学会に紹介され、
先史時代の南島文化研究の草創の地となったところです。

貝塚から出土する遺物としては、いわゆる外耳土器を含む土器類、中国製品を含む陶磁器類、石器、貝器等があります。
先島諸島の遺跡は、大別すると陶磁器類を伴出する遺跡と、それを伴わぬより古い時期のものと考えられる遺跡および石器のみを出土し土器を伴わぬ遺跡に分類できます。
陶磁器類を伴出する遺跡の年代は、宋銭の出土をみるものがあることから、ほぼ推定可能です。
川平貝塚は、先島諸島の遺跡の一類型を代表するものであり、学史的にも重要な位置をしめます。

沖縄県教育委員会    昭和53年3月31日



15〜16世紀の石垣島の島人達はどのような生活をしていたんでしょうね〜。
この一帯は、御嶽や森などに囲まれて気持ちの良い場所です。
散歩がてら、昔の島人達の生活に思いを馳せるのもいいんじゃないですか〜。

川平貝塚の場所はこちら
川平貝塚の場所・地図






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天川御嶽に通じる神の道(カンヌミチィ)

【石垣島の史跡-神の道(カンヌミチィ)-】

天川御嶽 神の道

石垣市登野城といえば、石垣島の中でも古い伝統のある村で、登野城町内には古い御嶽もあればいろいろな史跡も存在します。
その中の一つが写真の「神の道(カンヌミチィ)」です。

たまに近くの道を通るので、変な道だなと気になっていたのですが、
最近になってこの道が「神の道」だという事を知りました。
生まれも育ちも石垣島でも、住んでいる地域が違えば分らないことがたくさんです。

この道をまっすぐ南に行くと天川御嶽(アーマオン)に通じています。
天川御嶽から北へ向かう道は、御嶽への参拝道として神の道と呼ばれていたそうです。
登野城村の古地図などに記載されている道です。

時代が変わって、新しい住宅が立ち並びその道はどんどん削られていきました。
今みれる「神の道」跡はほんの一部だけです。
でも残っているだけでも素晴らしいと思います。
昔の人達の暮らしに思いを馳せることが出来る神の道跡。
いつまでも残し、そういう神聖な道があったんだよと語り次いでほしい史跡です。

ちなみに、この場所には紹介の看板などはありません。
ブロック塀に囲まれた道がひっそりと残っているだけです。









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